ハタフェスがあったから│ハタジョ

By 2020年11月3日COLUMN

ハタオリマチフェスティバルがはじまってから今年で5年。台風の中止を除いて3回開催されてきました。その間には夏祭りがはじまり、クリスマスがはじまり、と拡張を続けてきました。

5年目を迎える今、事務局では、ハタフェスがあったからこそ生まれた物語を集めてまとめていくことにしました。題して「ハタフェスがあったから」。

ハタフェスがあったから|ハタジョ

ハタフェスには「ハタジョのロゼットワークショップ」という人気ワークショップがあるのをご存知でしょうか。

ハタジョ??とお思いの方が多くいると思いますが、ハタジョとは広く言うと“機織(ハタオリ)に関わる女性たち”=織女(ハタジョ)のことを指しています。

今回は、そのハタジョにまつわるお話をさせていただこうと思います。

機織(ハタオリ)に関わる女性たちという意味のハタジョで言えば、産地の中にはもちろんたくさんの女性たちがいます。ただ普段僕たちがハタジョと呼んでいるのは、その中でも県外から富士吉田産地へ移住して個人の表現活動を積極的に行っている20~30代の人たちを指しています。そうなると、今現在はおそらく10人近いハタジョがいるのではないかと思います。しかし、ハタフェスがはじまった当時2016年頃は3~4人くらいしかいませんでした。

今回ここでご紹介するのは、ハタジョの中心的なポジションにいる初代ハタジョ(に近い)2人です。

まず1人目は、富士吉田市の隣 西桂町にある株式会社槇田商店のデザイナー井上美里さん。彼女は、東京造形大学テキスタイル学科を卒業後に槇田商店に就職し、ハタジョとなりました。きっかけになったのが、産地の機屋さんが東京造形大学の学生とタッグを組んで共に商品開発を行うコラボ事業「フジヤマテキスタイルプロジェクト」でした。そこで井上さんは槇田商店と組み、商品開発を行います。そのご縁がきっかけとなり、そのまま就職することに。コラボ事業で企画した「菜」という野菜をテーマにした傘のシリーズはその後商品化され、人気商品となっています。才能×縁×勢いで誕生した、代表的なハタジョの1人なのです。

2人目は、同じく西桂町にある株式会社川栄のデザイナー藤野寿朱菜さん。彼女も同じく東京造形大学テキスタイル学科の卒業で、同大学の教授の紹介で現在の会社に就職したそうです。ただ、やはり繋がりとしては先にご紹介したコラボ事業「フジヤマテキスタイルプロジェクト」に友人が多く参加していたこともあって、精神的に近い産地だったことも大きいようです。産地に入ってからは、当時のハタジョとしては最年少だったこともあり、一番はしゃぎがちでした。(←個人的な印象)

そんな彼女たちと僕自身の出会いはと言うと、実はちょうど同じ時期に僕も富士吉田市に移住してきていて、地域おこし協力隊として活動をはじめた頃でした。まちづくりの一環で、同世代の面白そうな人たちを探している中で、才能溢れた彼女たちがキラキラしていて、何となくすぐ仲良くなったような。

そしてとある日、山梨県内のどこか素敵なイベントで偶然彼女たちに会い、言われました。「富士吉田でも、こういうイベントやって欲しいな!」。うん、なるほど。じゃぁ一緒にやろう!イベントつくろう! ということで、当時の他の同世代の仲間たちとはじめたイベントが「ハモニカ横丁げんき祭」というお祭でした。このお祭は、2014年から2017年まで開催しましたが、1回目から2人のハタジョは自分たちが個人的に作っていたテキスタイル商品などを販売してくれていました。

「ハモニカ横丁げんき祭」を4回開催して、本業がある中で毎年ハタジョたちにも協力してもらったり、日頃から楽しいことを共有したりする中で、すっかり同世代の仲間となりました。そうこうしていると、2016年からハタフェスがはじまる訳ですが、ハタフェスはハタジョにとっては“まさに”なイベントでした。

ハタフェス1回目の開催が決まった直後、僕はハタジョの面々に織物を使った楽しいワークショップを考えたい!と真っ先に相談しました。さすが、普段から織物を触っていて、いろんな経験値のある彼女たちなので色々アイデアを出してくれました。その中で子どもが一番楽しめそうなワークショップということで、「ロゼット作り」が生まれたのでした。

織物会社のデザイナーという本業の顔を持ちながら、仕事以外で仲間とつながり(格好良く言えばコミュニティが生まれ)、楽しく動き出す。普段は一流ブランドの商品開発を影で支える彼女たちですが、「来場者に喜んでもらうために」ハタフェスでは仕事の枠組みを超えてクリエイティブを発揮してくれています。

「ハタフェスがあったから」彼女たちがハタジョになった訳ではないし、何か大きな変化があった訳ではないかもしれません。しかし、ハタフェスが始まって、毎年ワークショップを企画することで、彼女たち自身も楽しく産地に関われるようになったかもしれないし、それぞれの表現に少しでも変化が起きたかもしれません。

地方でも自分らしい生き方をつくる。ハタジョがその可能性を示してくれているようにも感じています。