ハタフェスがあったから|装いの庭

By 2020年10月27日10月 29th, 2020COLUMN

ハタオリマチフェスティバルがはじまってから今年で5年。台風の中止を除いて3回開催されてきました。その間には夏祭りがはじまり、クリスマスがはじまり、と拡張を続けてきました。

5年目を迎える今、事務局では、ハタフェスがあったからこそ生まれた物語を集めてまとめていくことにしました。題して「ハタフェスがあったから」。

ハタフェスがあったから|装いの庭

2016年3月、ぼくは務めていた会社を辞め、山梨に移住し、装いの庭の屋号を掲げて独立しました。独立してありがたいことに何社かの人からお仕事をいただきました。けれど、独立したばかりの自分が一人でできることと期待されていることの間には深い溝があり、なかなか納得のいく仕事はできませんでした。そんな中、今でも継続できている唯一の仕事がハタオリマチフェスティバルです。ハタフェスがなかったら、今ごろどうなっていたことか。そのことを想像もできないくらいにこのイベントは装いの庭の活動の真ん中にあります。

装いの庭は、立ち上げた頃からずっと「繊維に関わるデザイナーや工場を応援する」ことを目的に活動しています。しかし、今、胸を張って“仕事”と言えるのは、間違いなくハタフェスがあったからです。応援することを活動の主目的にしてしまう場合、一番の問題はお金に結びつきにくく、この点にとても悩みました。その中でハタフェスは最初からある程度の予算を提示し、その運用を任せてもらえました。完全にプロデューサーの仕事です。こういうことってたとえ望んだとしても、すんなり入ってくる仕事ではありません。ぼくみたいなよそ者にもそういう仕事を請け負わせてくれるのは富士吉田市の懐の深さだと思います。おかげでぼくは、ほとんど使命になっている「繊維に関わるデザイナーや工場を応援する」活動を胸を張って仕事と言えるようになりました。

 

ハタフェスが与えてくれたものはお金と肩書だけではありません。BEEKの土屋誠さん、ふじよしだ定住促進センターの赤松智志くん、市役所の産業観光部の方々、地域の織物工場の方々、関わるさまざまな作り手など、今、周りにいるたくさんの仲間との絆もイベントの運営の中で培われたものです。縁もゆかりもないこの土地で、こんなにも多くの仲間に囲まれていることはなんて幸せなことでしょうか。

ハタフェスは当初、ワークショップを5ヵ所くらい、というお話でした。それが今や、130を超えるコンテンツが一堂に集う規模になり、賞をいただいたり、市長からのお墨付きをもらったり、富士吉田の代表的なイベントとして、教科書に載るまでになりました。振り返るとまだ3回しかやっていないにも関わらず。回を重ねるごとの思い出はふじよしだ定住促進センターが運営する「you FUJIYOSHIDA」に記事として綴っています。よろしければぜひご覧ください。

 

この先、ハタフェスはどうなっていくのでしょうか? よく聞かれる質問ですが、これにはうまく答えられなくなってきています。ぼくらの手を離れて、街のみんなの宝になってきている気がするからです。それはとてもうれしいこと。立ち上げのころ、事務局の3人でよく話していたのは、集客や売上の目標ではなく、いかに街に当たり前の風景を作っていくか、街の人たちが自分ごととしてイベントに参加してくれるか、でした。今はそれが少しずつ形になってきている気がしています。新型コロナウイルスの影響で今年のハタフェスは小規模のイベントを少しずつ開催することにしました。二日間だけのあの盛り上がりを作れないことは残念だけれど、実は最初のころに僕たちが思い描いていた景色を実現する機会ではないかとも思っています。

 

遡ること十数年前、ぼくは糸を撚る「撚糸」を行うメーカーに新卒で入社しました。その時、周りの先輩方(社内だけではなく、社外の取引先の方にも)にたくさんのことを教えていただきました。こうして一人の人間として社会で生きていけているのは、その経験があるからです。繊維産業はどうしたらよくなるのか、いつの間にか考え続けるようになっていました。昔お世話になった現場で働くような人たちに笑いながら仕事をしてもらいたいと思うんです。装いの庭の仕事の先にはそういう未来をいつも思い描いています。まだまだ小さな小さな歩みだけれど、ハタフェスのおかげでその道を進めていることには感謝の気持ちでいっぱいになります。そして、この先のハタフェスはきっとこの記事を読んでくれているみなさんと一緒に作っていくのでしょう。今年の活動が未来につながり、来年、再来年とさらにパワーアップするハタフェスができることを楽しみにしています。

 

装いの庭 藤枝