ハタフェスがあったから|流しの洋裁人

By 2021年1月18日1月 20th, 2021COLUMN

ハタオリマチフェスティバルがはじまってから今年で5年。台風の中止を除いて3回開催されてきました。その間には夏祭りがはじまり、クリスマスがはじまり、と拡張を続けてきました。
5年目を迎える今、事務局では、ハタフェスがあったからこそ生まれた物語を集めてまとめていくことにしました。題して「ハタフェスがあったから」。

ハタフェスがあったから|流しの洋裁人

ハタフェスの依頼を受けたとき、地域の布を使った洋裁のワークショップはやろうと決めていました。
では、どんな人を呼んで何をやったらいいだろう。そう思いながら、とりあえずGoogleの検索画面に打ち込んだ「洋裁」「ワークショップ」の文字。ずらっと並んだ検索結果の中にあったのが、「流しの洋裁人」の名前でした。

それから数年後、彼女はハタフェスをきっかけに富士吉田に移住しました。結婚・出産を経て街に事業所を構え、今は日々、ミシンを踏みながら富士吉田での暮らしを発信しています。

流しの洋裁人は「全国各地に洋裁の光景を生み出すこと」を目的に、原田陽子さんが生み出した職業です。“流し”の名前の通り、ミシンを担いで各地を渡り歩き、仕入れた布を洋服に仕立て、その土地のイベントやお店の軒先に訪れた人へ届けます。
とにかく明るく元気な洋裁人は、洋服を縫いながら、道行く人に生地のこと、活動のことなどをはきはきと伝えて回ります。そもそも屋外のマルシェやお店の軒先でミシンを踏んでいること自体が目を引きます。人々はその光景に興味をそそられ、足を止めてしばし眺め、会話が生まれます。そういう人が一人、また一人と増え、彼女の周りにはよく人だかりができています。
売っているのは「作る光景」。
活動を紹介する冊子にはこう書かれています。

初めて声をかけたとき、彼女は京都の芸術大学で教えながら、研究活動として活動をしていました。
HPはなかったため、定期的に更新されているSNSから思い切って連絡を取ると、「出てみたいけど、まずは活動を見てほしい。大阪で知人と合同出店の予定があるから来ませんか?」とのお返事。ぼくは大阪まで足を運びました。

出会って話をしてみると、山梨にはいくつかのご縁があることがわかりました。流しの洋裁人として初めての出店が山梨県北杜市のギャラリーだったこと。そのときに富士吉田の何件かの機屋さんに布を仕入れさせてもらっていたこと。同じ昭和59年生まれだったこと。そんなご縁もあって快く出店を承諾してくれたのでした。

その時に原田さんと合同で出店していたのが「terihaeru」の小島日和さん。あとから聞いたところによるとかなり警戒されていたようで、一人で出店するのが心細かったそうです。そこで、当時お互いに相談をし合っていた小島さんも紹介し、一緒に出店できるかどうかも大事なポイントだったようでした。独立したばかりで実績がなく、ハタフェスも初回開催だったので仕方のない話ですが。

1回目のハタフェス。当時、流しの洋裁人は車を持っていませんでした。京都から重いミシンを2台も持ってやってくるにも関わらず、移動は電車。そして、乗り遅れ、山梨までの電車がなくなって辿りつけないと連絡をもらい、中央線の大月駅まで車を走らせました。時刻は深夜1時。
この出来事が象徴するように、流しの洋裁人は労働としては驚くほど過酷なことをしています。ミシンは必ずしも移動型の出店に適した機械ではありません。ましてや女性が担いで回るなんて。そして、洋服を縫う作業と接客もまた相容れるとは言い難いものです。それでも彼女は強い意思を持って、ミシンを持ち歩き、人々の前で洋裁をする、このスタイルを貫きます。

彼女を突き動かす動機はいくつかあります。そのひとつは、旅先のガーナで目にした光景。
ガーナの街中では、雑貨屋や食料品店や自動車修理屋さんと並んでテイラーさんをたくさん見かけたそう。それらの道路沿いのコンテナ商売の光景に、彼女は人間の生きる姿・暮らしの原風景をみました。それぞれが自分のできることを探して小さな店や役割をもっていきいきと働いている、その様にとても感銘を受けたそうです。

また、大学を卒業して勤めたアパレル会社の営業での経験や大学での指導の中で、既存のファッションシステムに対して疑問を感じていた原田さん。自分ができることは何かと考えた時に、現状のファッションシステムに乗っかるのではなくて「その場で作る」という光景を見せることが、次世代への興味の喚起やくらしかたの見つめ直し、新しいファッションシステムを構築していくきっかけになるのではないかと思い、職業・流しの洋裁人が生まれました。

それはつまり、原田さんが生きてきた中で経験してきたことのすべてを詰め込んだ「総動員の原田」なのだそうです。だからこそ、一見過酷に見える労働からも逃げない。
話を聞けば聞くほど、思わず応援をしたくなってしまう。彼女の活動を通して、服作りに興味を持つ人が増えたり、布に興味を持つ人が増えることを願いたくなる。そんな気持ちになってしまうのは、ぼくだけではないはずです。

ただ、初回の時は魅力を上手く伝えることはできず、売上に結びつけてあげることはできませんでした。
「なかなか厳しかったけど、とても良いイベントだったのでまた呼んでください」。
それは小さな約束でした。

約束の2回目。より洋裁人らしい出店を考えようと、ぼくらは地域の工場を数社一緒に回ることにしました。

そこで出会ったのがWatanabe Textileの渡邊竜康さんです。当時、竜康さんはどんなことができるだろうかとさまざまな布を試作開発している途中。いくつものサンプルの中に、彼が織りながら配色と幅を組んでいく一点もののボーダー生地がありました。
布そのものが特別なもの。そこにしかない価値を見つけた原田さんはその布を活かした服のアイデアを提案します。量産品とは違った布の特徴を活かし、製品として届けられるこのアイデアを竜康さんも好意的に受け取りました。そうして、生まれたのが、その後も流しの洋裁人の看板商品のひとつになる「6WAYワンピース」です。

地域のそこにしかない布の魅力を発掘し届けたい洋裁人と、織ることを表現にしつつも届け方を探していた竜康さん。それぞれにとって、お互いのやりたいことがしっかりと噛み合った出会いでした。そのときのやりとりの様子があまりに楽しそうだったから、2回目のハタフェスでは一緒に出店してもらうようお願いしました。

前回の参加で強烈なインパクトを残して去っていった流しの洋裁人は、1年経っても忘れられることなどなく、その上、地域の機屋さんと協働した出店はとても好評でした。

ハタフェスで得た地域の人たちの応援と、いくつかの事情があり、その翌年、彼女は富士吉田に移り住みました。
そして、地域おこし協力隊として、さまざまなイベントに出店し、郡内織物の広報活動に精を出すことに。

出店や仕入れに同行したことが何度かあります。人の懐への飛び込み方もすごいですが、彼女は活動の中で出会う一瞬一瞬をとても大切にしています。
たとえば、定期的に出店している素材博に同行したときのこと。同じく出店していた鹿の角を加工しボタンにしている作家さんと仲良くなり、彼女のつくる服にはそのボタンが使われています。出店中もにぎわいが生まれるまでの時間はただ待つのではなく、その場にある素材で何かしらのサンプルを縫い始めます。立ち上がりの少し空いた時間で縫ったパンツや羽織を「ユニフォームだから着ろ」とよく渡されました。流し先の場所、そこに集まる人と、洋裁人の関わり方をいつも真剣に考えているのでしょう。なにかできないかといつでも目を光らせています。

産地の生地を使った企画にもいくつも取り組みました。
はじめて企画をしたのはおそらく、光織物のハギレを使ったこいのぼりのワークショップではないでしょうか。


生地の販売の仕組みを作ったり、DIYで靴をつくるローパーシューズを産地の生地でキット化するプロジェクトも動かしました。


協力隊としての任期を終えた原田さんは結婚・独立・出産をし、今は子育てをしながら、小さな規模での出店と時々オンラインの販売会、キットの開発などを行っています。商店街にベースキャンプを開設し、Fabスペース化に向けた準備も進めながら、富士吉田での洋裁と暮らしを日々発信しています。

キットから生まれたバッグは富士吉田市のふるさと納税の返礼品にも登録されています。
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コロナ禍の影響で人と会うことが憚れる状況の中、彼女に再び会うことを楽しみにしている人はたくさんいるでしょう。
まだまだ収束は見えないけれど、いつか去ったとき、たくさんの人に囲まれる中で笑い声が響く、あの光景が再び見れることを楽しみにせずにはいられません。