「時よ止まれよ、富士吉田」写真家/志鎌康平

By 2021年1月21日PEOPLE

あーやっぱりここに帰ってきたなーって肌で感じちゃう。
富士山駅のバス停を降りたときのこの感じ。駅の周りの少し寂れた風景に、なぜだか心が踊っている。ここから続く、長い下り坂の路面は徐々に賑わいを見せ、ぼくが虜になっている「富士吉田の景色」が姿を現す。そう、それは街の一角の変わらない商店だったり、信号越しからぬくッと鎮座している富士山だったり、そこに住む人々だったり。身体の表と裏から、覆うように降り注ぐこの感覚。

2016年から3年間撮り続けたハタオリマチフェスでのカメラ小屋。(2019年は台風のため中止でカメラ小屋だけ。自主開催した。)何も知らずにただ降り立った最初の年、ぼくは結構不安でいたのだけれど、富士吉田の人たちが温かく迎えてくれた。ぼくのことを全然知らないのに、お茶を出してくれて、おにぎりを出してくれて、笑顔で自分たちの場所に通してくれたロンタンの皆さん。まるで家族のように、ぼくは錯覚に陥りそうになりながら、ただただこの状況をありがたく、そして楽しんで過ごさせてもらった。富士吉田の人たちの優しさはどこから作られているのだろうと感謝しながら、いただいたおにぎりを頬張り撮影に臨んだ。

「カメラ小屋」は家族写真を撮る移動写真館。富士吉田では毎年この時期に写真館をしていたので、年ごとに常連さんが増えて、最初の年に撮ったお子さんが大きくなっていく様子を見れたり、家族の雰囲気が少し変わっていく様子なども見せていただいた。人を撮るということは、人と話すということ。会話をするように、僕は、たくさんの富士吉田を撮り、知ることができた。

富士吉田の風景を撮ることはあまりしていないけれど、そこに住む人を撮り続けることで、ぼくの中の富士吉田像が出来上がっていった。その一つ一つの家族の風景はとても温かく、窓から日差しが降り注いでいる様子を見ているようだった。


夜は”新世界通り”で歴史に耳を傾け、杯を重ねた連日連夜。富士吉田の富士山信仰の宿場町としての役割。そして機織の街として人々が行き交い賑わいを見せた街の歴史。新しい店も古い店も同居しているこの場所は、ゆっくりと歴史が動き続けている。住人はこの街が大好きで、街もまたここに住む人々が好きなのだ。この街にいると、恥ずかしくもなくそれが言える気がした。

住んでいる家族も、街で働く人々も、今も、昔も。そこは混ざり合った異世界のような”新世界”の風景。そして富士の懐に抱かれた富士吉田の街中で、ぼくは今を生きる家族を撮らせてもらった。
そこには愛と笑いが溢れ、この続いていく歴史を写真に一瞬定着させたくなる感覚。
それは、時よとまれ。って本気で思うくらいの温かい景色だった。

志鎌康平
写真家。小林紀晴氏のアシスタントを経てアカオニへ。2016年独立し、志鎌康平写真事務所【六】を山形と東京に設立。人・食・土地の撮影を日本/世界を旅しながら行う。広告をはじめ、雑誌「暮しの手帖」「BRUTUS」「CasaBRUTUS」「FRaU」、Webでは「雛形」「北欧、暮らしの道具店」などで撮影。シソンヌじろうの著書「サムガールズ」の女性ポートレート写真を撮影。最近では中国やラオスなどの少数民族のポートレートや生活の撮影も行なっている。全国を旅する移動写真館「カメラ小屋」で家族写真を撮影。山形ビエンナーレ公式フォトグラファー。東北芸術工科大学映像学科非常勤講師。
http://www.shikamakohei.com/